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情報と想いを共有する ~兄の最期に寄り添って感じたこと~

兄の在宅療養をサポート

郷里(島根県)で実家を継いでいた兄とは、特に私が退職してからは、よく行き来をしていました。その兄から、肺がんのステージ(病期)IVで治癒の見込みはないと診断されたとの連絡を受けました。

兄の家族は、余命が長くはないと宣告されてパニック状態になっていました。当面、私が治療の相談や受診の付き添いなどのサポートをすることになりました。兄弟のなかではできがよかった兄は、かつて私にとって羨望と尊敬が入り混じったような存在でした。退職後で自由な身だった私は、兄をできるだけ支えたいと思って実家に通いました。

診断を受けた時点での兄は、よく咳をすることを除けば、グラウンドゴルフを楽しんでいて、病人という感じはありませんでした。ですから、医師に通院での抗がん剤治療を勧められて、「それでいいだろう」と兄の家族も私も考えていました。以来、抗がん剤治療のために、兄自身が車を運転して3週間おきに病院へ通っていました。

在宅療養について感じたこと

実家は古い慣習の残る地域にあり、がんになったことを隠そうとする意識が今でもあります。抗がん剤治療の直後は体調がすぐれず、病状が厳しくなるにつれて、兄は引きこもりがちになり、気持ちのバランスを保つことが難しくなっていきました。

高校の教師だった兄のもとには、教え子がよく訪ねて来ました。地域のさまざまな活動でも中心的な役割を担っていたことから、会合に欠席が続けば、心配してくださった方が訪ねて来たりします。訪ねてくる人たちに対応することが、兄だけでなく、義姉にも、ありがたい気持ちがある一方で、精神的な重荷になってもいました。

今、振り返ってみて、在宅での療養を考えるにあたっては、友人や知人、ご近所の方たちに病状についてどのように伝えるのか、どのようなお付き合いをしていくかについて、前もって考えておくことも大事だったと思います。

それでも、兄は住み慣れた自宅で日常生活を続けられたことで、がんになったこと、厳しい病状であることに対する精神的なつらさを軽くすることができたのではないかと感じています。それまでの生活リズムを保ちながら、ある程度わがままを言える自宅で過ごしていたことが、十分といえないまでも、精神面での安定につながっていたと思います。

情報を共有することが大切です

兄ががんと診断されてから、私は国立がん研究センター「がん情報サービス」をはじめとするウェブサイトや、書籍などを参考に、肺がんの病気と治療方法について、さまざまな情報を収集しました。そこから知り得たことを兄夫婦に伝え、セカンドオピニオンをとるために、大阪の病院に連れていったりもしました。

たいへん厳しいことを言われるかもしれないけれど、パニック状態の義姉にも、医師との面談には常に同席してもらいました。本人も含めて、患者の最期に関わる人間が病状についての情報を共有することが重要だと考えていたからです。

治癒の見込みがない場合には、医療者の意見や判断、家族からみた患者の状況をできるだけ客観的にみて、患者本人と家族が残された時間をどう過ごしたいのか、確認し合うことが大切だと思います。死期も含めた状況の判断で患者自身、家族、医療者やサポートする人たちの間で、その理解に大きなギャップがあると、例えば患者の家族側に「こんなふうに最期を迎えるはずではなかった」と思うような、大きな禍根を残すことになるように思います。

また、看病あるいは介護している人たちの困ったこと、辛いことなど、どんな些細なことでも、患者本人を含めて、関係者が共有することに努めるのがよいだろうと思います。それによって、患者と家族、関わる人たちの信頼関係ができるのではないでしょうか。

わからないことの不安を取り除く

私は兄夫婦に、調べて知ったことや医師の話などを口頭で、あるいは文章にして包み隠さず伝えました。兄は、その内容によって落胆することもありましたが、現状を把握することで気持ちが安定する面もありました。

人は自分が置かれている状況がわからないと、悪いほうにイメージがふくらんでいきます。それによって周囲の人への不信感も生まれます。そうなることを防ぎたかったのです。

抗がん剤の治療を受けた後には、食欲がないなど副作用による不調もありましたが、日常生活に大きな支障がなかった兄は、訪問診療や看護、介護に必要な認定などを受けていませんでした。治療を始めてから1年を経たある日、突然、呼吸困難に陥り、救急搬送されて入院して1カ月余り後に病院で息をひきとりました。

それから1年後、今度は私自身が悪性の耳下腺腫瘍であることがわかりました。検査の結果が出るまでの数日間、不安と恐怖にさいなまれましたが、病名がはっきりしてからは、何ができるのか、何をすべきなのかを考えられるようになりました。首のリンパ節に転移していたステージIVの進行がんでしたが、病状がはっきりしてからは、むしろ気持ちが少し安定しました。

病気や病状を隠すことは不安を生み、隠さないことが安堵をもたらすというのが、兄の看病、自分の治療を通じで得た私の実感です。

在宅療養ガイドの作成に携わって

在宅療養中、またそのことを考える方たちに、自分の経験を少しでも参考にしていただければと思い、「ご家族のための がん患者さんとご家族をつなぐ在宅療養ガイド」の作成に協力させていただきました。この冊子を、患者さんとご家族に、中長期の療養計画をイメージするために活用していただければと願っています。

患者と家族は、余命宣告を受けたことで混乱したり、パニック状態におちいったりします。そうした状況下でこの冊子を最初から全部読んで、内容をきちんと把握するのはなかなか難しいのではないかと思います。

そのときには、自分が知りたいことから読むのでもよいでしょう。少しずつ情報に接して、病状や在宅療養について理解していくことで、患者と家族がどのように対処していくのがよいのかを話し合い、考え、判断する材料として活用されればと思います。

情報を発信する方々には、患者や家族が優先して知りたい事項を効率的に把握しやすいように、目次をできるだけ細分化したり、イラストを多くしたりして、わかりやすく、情報にアクセスしやすいようにする工夫をお願いしたいです。

健康な人にもがんの情報を

私の姉は、兄より10年ほど前にがんで亡くなっていました。その頃、仕事に追われていた私は、姉の看病や身の回りの手伝いができなかったこともあり、がんという病気に特に関心を持っていませんでした。

退職してフリーになるという生活環境の変化があったなかで、兄ががんにかかったことから初めて、がんについていろいろ調べたのです。さらに自分の病気がわかってからは、肺がんと耳下腺の腫瘍は治療が大きく違うこともあり、改めて調べてみました。兄の最期に関わり、自分自身もがんを経験して、もっと早くにがんについての情報を得ておけばよかったという思いがあります。

/そうした目で見ると、同世代の方たちが集まる地域のシニアの集まりなどで感じるのは、がんを身近な病気ととらえる人が多くはないということです。また、国立がん研究センターなどから信頼できる情報が発信されていることも、あまり知られていないようです。

シニア世代の集まる場所に、がんに関する情報の案内などがあれば、もっと関心を持つ人が増えるのではないでしょうか。健康な人でも、がんの知識を持っていれば、もしがんにかかった時でも、それほどあわてずに治療や療養について判断や準備ができるのではないかと思います。

掲載日:2015年11月2日
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