がんの在宅療養 地域におけるがん患者の緩和ケアと療養支援情報 普及と活用プロジェクトfacebook

がん医療フォーラム 仙台 2015
【基調講演】地域で療養するがん患者さんのご家族を支える情報とは
在宅緩和ケアの現場から

河原 正典さん(爽秋会 岡部医院 緩和医療専門医)
河原 正典さんの写真
河原 正典さん
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在宅で最期の時期を支える

宮城県名取市で、主に末期がんの患者さんの在宅療養を行う岡部医院で、地域の緩和医療に携わっています。私は、おそらくほかのスタッフも、在宅で患者さんを「看取っている」とは思っていません。患者さんを「看取る」のはご家族であり、親しい人であり、介護する人だと思います。私たちは、患者さんとご家族、親しい人を支えきることを目標に働いています。

開設者の岡部健は、がんセンターに入院しているがん末期の患者さんの在宅での療養に関わり、自宅で穏やかに過ごす方と接するようになったことをきっかけに、岡部医院を立ち上げました。岡部医院では2014年、約300人の患者さんの在宅療養に関わり、約240人の方を在宅で看取ることに関わらせていただきました。

岡部医院での在宅緩和ケアでは、抗がん剤や放射線による治療を行うことはありません。在宅で少しでも快適に過ごしてもらえるように、環境を整えたり、薬でコントロールしたりします。医療者のほか、メディカルソーシャルワーカー(MSW)、ヘルパーさんや理学療法士、薬剤師、臨床宗教師など多職種によるチームケアで患者さんとご家族を支えています。最終的に、患者さんの生活を支えるのは医療ではないと考えています。実際には介護力であったり、気持ちを聞いたりする、そうした側面のほうが大きいと思います。

在宅療養の事例 望む場所で最期の時期を過ごせるように

岡部医院で関わらせていただいた患者さんの事例をご紹介します。70代女性のAさんは腰椎圧迫骨折で入院し、検査で末期の肺がんが見つかり、筋力が低下し動けないという状態でした。治療が落ち着いて、Aさんは家に帰りたいと希望しましたが、同居しているご主人は脳梗塞の後遺症で右足が不自由、市内に別居している娘さんも自宅での介護は難しいと思っていました。ご主人が一度は家に連れ帰りたいということで、緩和ケア病棟に申し込んで、順番がくるまではとのことで、自宅で過ごされました。ヘルパーのほか自費で家政婦さんも入れて、娘さん家族の協力も得て、在宅療養を実現しました。この方は体力の低下はあったものの、その都度ご主人の意向を確認しながら最期まで自宅で過ごされました。

独居の80代女性Bさんは口腔内がんの方で、痛みのコントロールなどで定期的なケアが必要だったことから、退院時に岡部医院に紹介されました。退院する前に緩和ケア病棟に申し込まれています。「緩和ケア病棟には入りたくない、自分抜きで療養の方針を決められるのは嫌だ」という本人の意志を関係者で共有してきました。親しいご近所の方が1日2回サポートをしていたこともあり、在宅で2カ月半を過ごされました。その後、呼吸苦が出現して在宅酸素を導入しました。この時点で妹さんが一人暮らしを心配され、ご本人とも相談して緩和ケア病棟に入院することにしました。ご本人も現実に不安があったのだと思います。

在宅療養に関わっていますが、「何がなんでも自宅で最期まで」とは思っていません。患者さんとご家族が望む場所、納得できる場所で最期を迎えられるようになればいいと思います。

講演の様子の写真
講演の様子

在宅療養に関わって思うこと

がんで亡くなる人の数は人口の高齢化が進むにつれて、今後確実に増加していくと思われます。仙台市では85歳以上の人口が2040年には2010年の4倍に増えることが見込まれています。都市部では、同様にこうした高齢者人口の急増が予測されています。がんの専門医療機関、在宅緩和ケアを支える医療機関がある仙台は、モデルになりうると考えています。

緩和ケアの歴史は、人権の問題でもあると思います。ひとの最期をどう迎えるかを考えるにあたって、告知やインフォームドコンセントといった話題も語られるようになりました。人生観や死生観について、患者さんも家族も見つめ直していただくことが大切だと思います。

「看取りは医療が担うべきなのか」ということを、皆さんにも考えほしいと思っています。死は異常現象ではなく、誰にも必ず訪れる生理現象といえます。ただ、死に至る過程としてそこに病気という異常現象が関与します。患者さんとご家族が希望されて、何が何でも抗がん剤を最期まで続けるというのも、それはそれで1つの考え方かもしれません。でも、それは何か違うと思うのです。

もう1つ、在宅療養に関わって思うことは、人の死に接する機会の減少が、死生観について大きく影響していると思います。ほとんどの方が自宅で亡くなっていたのが、1970年代以降逆転し、病院で亡くなる方が増えました。今、仙台では15%ほどは自宅で亡くなりますが、ほかの地域では95%くらいが病院で亡くなっています。自分の最期や人生観について考える機会が減っていると思います。

最期を迎えるまでの時間の意味を考える

死に目に会うことだけが重要なわけではないと思います。衰えていく、病気が進行していくことを共有していくのが看取りではないでしょうか。日本では、なぜか死に目に会うことが重視されていて、それさえクリアすればよかったという感じになることが気になっています。人生の最期の時期を、一緒に過ごしたり、旅行に行ったりすることがあってもよいと思います。

誰でも最期がくるということを、元気な人でも考えなければいけないと思います。自分の最期をどう考えるかは、ご家族や親しい方と話しづらいことだと思います。しかし、個々人の最期をいかによく迎えるかという問題は、医療者だけの議論では解決に向かう道筋は見いだせないと思います。

患者さんは何を優先したいのか、生きる時間をどう過ごしたいのかを考え、ご家族と話し合えるようになれば、最期を迎えるまでの時間の意味、あるいは豊かさが少し違うのではないかと思います。

掲載日:2015年12月28日
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